社員ブログ
上杉景虎ゆかりの”脇差し”に感動です
2009-06-03
カテゴリ:ハルトジィ
今日の午前中、妙高市内の某所で偶然にも、今話題の影虎ゆかりの”脇差し”を目の前で・・・。思わず戦国時代のロマンを感じ感動しました。所有者のかたが言われるには、この脇差しを持った人は、志半ばで無念の死を遂げた景虎の意志が乗り移るのか、不思議に出世する方が多いとのことです。この不況下ですから、ほんとうなら嬉しいですね・・・県内で景虎ゆかりの刀剣類が発見されるのは珍しいそうです。
現在は妙高市の文化財に指定されています。
現在は妙高市の文化財に指定されています。
(以下、妙高市ホームページより抜粋)
肖像画もなく、ゆかりの品が少ないことで知られる上杉景虎ですが、このほど、妙高市内の旧家から景虎の側近が所持していたと伝えられる脇差が発見されました。
脇差は今から3年ほど前に行われた家の解体工事で見つかったものです。
脇差の製作者は相模の刀工「広正」。室町時代に活躍し、龍の彫刻が得意であったとされています。今回の脇差にも「広正」の銘とともに、小柄(小刀)に「倶利伽羅龍」の見事な彫刻があります。景虎の出身地である相模の刀工の作であり、推定制作年代も室町時代中期~後期ということで景虎が生きた時代と重なります。
この刀は、旧家に代々伝わる「先祖は小田原から主に従って当地に赴任し、鮫ヶ尾城を舞台とした戦争で負けて刀とともに逃げのびた」とする口伝と一致する内容であり、景虎の側近が所持していた可能性が十分にあります。
肖像画もなく、ゆかりの品が少ないことで知られる上杉景虎ですが、このほど、妙高市内の旧家から景虎の側近が所持していたと伝えられる脇差が発見されました。
脇差は今から3年ほど前に行われた家の解体工事で見つかったものです。
脇差の製作者は相模の刀工「広正」。室町時代に活躍し、龍の彫刻が得意であったとされています。今回の脇差にも「広正」の銘とともに、小柄(小刀)に「倶利伽羅龍」の見事な彫刻があります。景虎の出身地である相模の刀工の作であり、推定制作年代も室町時代中期~後期ということで景虎が生きた時代と重なります。
この刀は、旧家に代々伝わる「先祖は小田原から主に従って当地に赴任し、鮫ヶ尾城を舞台とした戦争で負けて刀とともに逃げのびた」とする口伝と一致する内容であり、景虎の側近が所持していた可能性が十分にあります。
関連URL:新潟日報天地人特集ニュース
